仏教徒としての自覚
- 金子 貫司
- 2020年5月5日
- 読了時間: 2分
先日、遠方からお越しいただいた布教師様を長崎駅の改札でお見送りした直後、突然見ず知らずの七十歳代くらいのご婦人から声をかけられました。
「和尚さん、和尚さん、長崎にも仏教が広まっていたんですねぇ。長崎にもお寺があったんですねぇ。私は初めて長崎に来たんですが、来る前はキリスト教の教会ばっかりがある所だと思ってました。
でも来てみるとお寺もあるし、こうして和尚さんにもお会いできました。びっくりしたけどとっても嬉しいです。私は淡路島のお寺の檀家です。」
とおっしゃいました。
私は急なことに驚きながらも「淡路島からですか。ようこそいらっしゃいました。そうなんですよ。長崎は実は仏教が盛んな所なんです。多くの方々が仏さまやご先祖さまを大切にされますし、初盆の際は有名な精霊流しをします。それに現に私のお寺でも三日間お彼岸法要をつとめ、大勢の方がお参りくださいました。その法要で尊いご法話をしてくださった和尚さまを先ほどお見送りしたところなんですよ。」
と申しました。
するとその方は、
「あー良かった。長崎には仏教があるし、お寺もあるし、和尚さんにもお会いできました。あー嬉しい、私はこれで安心して淡路島に帰れます。本当に長崎に来て良かったー。」
とまさに喜色満面、輝くような笑顔で、手を振って改札口から帰って行かれました。
私は、寺へ戻る道すがら、全く予期しなかった今の出会いを振り返りました。
「なぜ、あのご婦人があのように喜ばれたのだろうか。」
その理由は、きっとあの方が常日頃より仏さまを敬い、お寺に参ることに幸せを感じ、信仰を深め、自分は仏教徒なのだという強い自覚を持って生き生きと人生を歩んでおられるからに違いないからだと受けとらせていただいたのです。
まことに信仰深い、すばらしいお方に巡りあえたことに感動いたしました。
私たち浄土宗の信仰を持つ者、即ち法然上人がお説きひろめになり、二祖聖光上人が受け継がれたお念仏のみ教えを信奉する者は、申すまでもなく、まず仏教徒であります。
仏教徒とは、仏さまと、仏さまのみ教えと、和合している信仰の仲間という三つの宝(三宝)を敬う人をいうのです。
自分自身が仏教徒であるという自覚をしっかり持って、仏教の究極、真髄であるお念仏を共々にはげんでまいりましょう。
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