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お念仏の み教えこそ

 中国の武漢市で感染の拡大が始まった新型コロナウイルスが世界各地で感染の拡大をみせ、世の中が大変なことになっています。社会生活は制約を受け、総本山や大本山をはじめ各寺院の法要、行事も中止や延期せざるを得ず、物資が不足し、学校は休校になり、その影響は甚大なものになってきました。

このウイルスに感染して命を落とす人も増え続けており、本当に憂慮する事態です。

 浄土宗でよりどころと仰ぐ浄土三部経の一つ『無量寿経』の「祝聖文」に「災厲不起」(災害や疫病が起こらず)とありますが、まさにそのことを願わずにはおられない心境になります。

 先般はテレビで中国の病院の状況が映し出されていました。

治療を求め、あふれんばかりの人が押し寄せている様子や、患者が増加の一途をたどる医療現場に絶望を感じている医師の姿もありました。

 また病院の廊下には遺体が横たわる衝撃的な映像もありました。

その映像を見て、すぐに思い浮かんだのは『方丈記』に記述された京の都のありさまです。

 『方丈記』は法然上人とほぼ同時代に生きた鴨長明が、庵に住みつつ当時起こった安元の大火、治承の竜巻、養和の飢饉、元暦の地震などについても記されています。

 実は法然上人の八十年のご生涯において、改元が三十回も実施されています。現代とは違って、改元は天皇の即位のみならず、災厄が起こったときに、世の中を新しくしたいという願いを込めての災異改元も多く行われておりました。法然上人八十年のご生涯でこれほど多くの改元が実施されたということは、いかに人々が苦しみあえいでいた混迷、激動の時代であったことの証しでもあります。

 養和の飢饉の章では、日照りが続き、五穀の収穫がなくなった上、伝染病が発生、流行して、次々と絶命する人が後を絶たず、仁和寺の僧侶が、京の都の東半分ほどの中で路傍に横たわっている遺体に梵字を書き、供養しながらその数をかぞえたところ、二ヶ月間だけで四万二千三百体にも及んだこと、市中に遺体があふれ、異臭を放ち、腐敗していくありさまは、目もあてられないものであったことなど悲惨な状況が記されています。

 そのような苦しみあえぎ救いを求める娑婆世界の人々に、救われる希望を与えられたのが法然上人であります。

 法然上人は、父上のご遺言にも導かれ、出家の身となり、ありとあらゆる全てのみ仏の教えを学び、行じ、修めるご苦労ご精進を重ねられました。そしてついに真心を込めて、大いなる慈悲のみ仏・阿弥陀仏のみ名をお称えするお念仏のみ教えこそが、誰であっても、いつ、どこで、どんな時に称えても、決して見捨てられることなく、間違いなく、必ず西方極楽浄土の世界に救われる教えであることを「阿弥陀仏の本願であるが故に」という絶対的な根拠によって確信され、私たちの浄土宗をお開きくださったのです。

 法然上人のお伝記には、智慧の秀れた明遍僧都が、四天王寺西門で、法然上人がさじを持って重病人の一人ひとりの口におかゆを運んで与えている夢を見たことが記されています。

 重病人とは難解な行をできない私たち、迷い、苦しみ、わずらい、憂いある私たちであり、重病人でも喉が通るおかゆとはお念仏のみ教えのことなのです。

 明遍僧都は、そのことを尊く深く感じとられ、諸行をさしおいて、お念仏の行者になられました。

 災難や疫病から逃れ難い娑婆世界の私たちが救われゆくのは、いつの世にあっても、ただお念仏のみ教えのみであることを改めて肝に銘じ、法然上人のみ教えを後世に伝えていかなければなりません。

 令和六年には法然上人が浄土宗をお開きくださって八百五十年を、迎えます。これからもより一層法然上人のお念仏のみ教えが盛んになり、すべての人々が必ず救われますよう、只今の時代を生きる私たちがしっかりお念仏をお称えして、後世の方々に尊く有難いお念仏の信仰をお伝えしてまいりましょう。


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