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分陀利華

 先日ある大本山の晨朝法話を勤めさせて頂いたところ、聴衆は5人でした。

3年前に私が同じ大本山で法話をした際は二人でしたので、2.5倍もの聴衆がおられることに安堵しながらも寂しさを覚えました。

 また、昨冬には、総本山の輪番法話の御縁をいただいたのですが、寒い時期ということもあって、七日間のうち約半分は常連の朝参会の方が4、5人来て下さる程度でした。

 ある時、宗門大学のS先生から次のようなお話を伺いました。

S先生が他宗の大本山での講習会に招かれ、そこの幹部に当たる僧侶の会合にも同席されたそうです。ある僧侶が、こう発言されました。

「朝勤行の参詣者が近頃減ってきて、平均すると一日あたり7、80人程になってきています。これは大本山としてはゆゆしき事態です。(間)ところでS先生、浄土宗さんでは、そのようなことはないですよね。」

 急に話を向けられてS先生は「はぁ」と言いながらも赤面の至りだったということです。

一日、7、80人もの参詣者がありながら「ゆゆしき事態」と受け止めておられるのです。我が宗も一ケタ少ない現状に危機意識をしっかり持たねば阿弥陀様や両大師様に申し訳ないことになってしまいます。

 そんな思いがする昨今ですが、ここでまさに人中の分陀利華のような檀信徒の女性を紹介いたします。

 その女性Fさんは、私が兼務住職をつとめている大悲寺の篤信の方でした。

生まれも嫁ぎ先も同じ大悲寺の檀家で、若い頃から念仏にいそしまれました。吉水講の講員歴も50年近くになり随分以前に一級詠唱司に認定されておられました。月2回の吉水講の集いにはほぼ休むことなく出席され他の講員さんたちをリードしてくださいました。

年中法要の和讃はそらで鈴鉦を鳴らし奉納されていました。五重相伝には5度もお入りになられました。大悲寺は155段もの階段を上らなければなりません。車はもちろん、バイクすら上がれる道はなく、自分の足で上がってくるしか方法がありません。しかしFさんは「お寺に参るのが一番の楽しみ・・・」と口癖のように言っておられました。そんなFさんも80歳代半ばを過ぎ、上り慣れた階段も体調のすぐれない時にはかなり過酷なものとなりました。しかしそれでも

「私は絶対お寺に上がります。二本足できつい時には四本足になっても絶対上がります。」

と宣言され、ある時には両手に軍手をはめて、本当に四本足(つまり両手を階段について四つんばい)で上がってこられました。私はそのお姿に思わず合掌して本堂にお迎えしたことでした。そして常日頃から

「私は本当に幸せ者ですよ。こうやってお寺にも参ってお念仏が称えられるし、ご詠歌やご和讃も仏様の近くでお唱えできます。家に帰ると息子の嫁はきれい好きで仕事で疲れているのに一生懸命働いて掃除もきちんとしてくれます。二人の孫もとても優しくしてくれ、お風呂では背中を流してくれるんですよ。私は本当に幸せ者です。」と仰っていました。

 そのFさんが本年2月二25日に88才でお浄土に往かれました。一月ではなかったにせよ、ご命日が25日ということに法然上人との浅からぬ御縁を感じずには居られません。

 中陰のおつとめの際、若奥様が

「とにかく母はお念仏信仰の深い人でした。ある時母が転んでケガをしてしまいました。そんな時でも母は喜んでいるんです。私が『怪我をしているのになんで喜んでいるんですか』と尋ねたら『私は、お念仏をお称えしているから仏様にに護ってもろうたんだよ。本当ならもっと大怪我になるところを仏様がお守りくださったお陰でこれくらいのケガですませてもろうたんだ。有難いことだよ。』と言ったんです。私はとてもビックリしました。けれどお念仏の信仰をしている人というのは、そんなふうに受け取れるんですね。信仰の尊さ、大切さを身をもって教えてくれた、すばらしい母でした。」と涙ぐみながらお話ししてくださいました。

 法然上人は「仏の御力は念仏を信ずる者をば転重軽受といいて宿業限りありて重く受くべき病を、かろく受けさせ給う」「これよりも重くこそ受くべきに、仏の御力にて、これほども受くるなりとこそは申す事なれ」とお説きくださっています。Fさんは、お念仏にはげまれるうちに、そのみ教えを自然に受けとめられたのでしょう。

お念仏の不求自得の功徳の有難さをお教え頂きました。

 Fさんの真摯な信仰生活をこれからも有縁の方にお伝えし、お念仏をお勧めしていきたいと思いを新たにしているところです。

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